同友会ニュース−活動報告

2016年度全研経営研究集会【記念講演】女性社長の人材育成(ダイヤ精機(株) 代表取締役 諏訪 貴子氏)

女性社長の人材育成〜二代目女社長の格闘記。 主婦から突然社長に!〜(ダイヤ精機(株) 代表取締役 諏訪 貴子氏)

ダイヤ精機株式会社
所在地:東京都大田区千鳥2-40-15
設立年月:1964年8月
社員数:32名
事業内容:冷温熱鍛造型・プレス型・治工具・ゲージ・精密部品・専用機・設計製作販売


ダイヤ精機から二度のリストラ!

   私は大学で工学部を専攻し、卒業後は大手企業に就職しエンジニアの道に進みました。職場結婚をして、出産を機に退職したのですが、あるとき父に「会社を手伝ってほしい」と頼まれました。引き受けて、社内分析をすると人数超過であることがわかりました。早速、父にリストラを提案し、その人事を言い渡すことになったときに、父の口から出たのは「お前、明日から来なくていいから」という、思いもよらぬ言葉でし
た。
「はい、そうですか」とやむを得ず退職すると、1年後に、また父が「手伝ってほしい」というのです。入社して再度リストラを提案しました。二度目の判断は早く、その場で「明日から来なくていい」と言われました。
 今なら、経営者としての雇用の責任がどれほど大きいものかよくわかります。父は、リストラを避けられないのなら、まず身内から切るしかないと思ったのだと思います。そして、雇用を守るため、売り上げを維持する為に、どうすればいいかを、私に一緒に考えてほしかったのだろうということも、今なら痛いほどよくわかるのです。

突然の事業継承

   2003年の秋、癌の治療を受けていた父の容体が急変し緊急入院すると、余命4日と告げられました。5年後生存率80%と言われていたので、私は、仕事のために渡米する夫に付いて行く準備をしている中でのことでした。事業継承についての準備は何もしていませんでした。「実印はどこ?」「銀行の暗証番号を教えて」そんなやり取りが病室でばたばたと交わされ、それが父との最後の会話になってしまいました。
会社は誰かが継いでくれると思っていました。
 父が亡くなると社員は「とにかく全力で支えるから社長になって欲しい」と言ってくれました。でも私にはその覚悟がなかなかできませんでした。20名を超える社員やその家族を養っていけるのか。当社は借り入れがありますが、車のローンも組んだことのない人間にそんなことができるのだろうか、と悩みました。最後は、やるだけやって、だめなら自己破産をして、皆に土下座をするしかないと、決断をしました。

半年で立て直してみせる!

   就任当初、「ダイヤ精機は娘が継いだそうだ。危ないよ」と噂が流れました。取引先の銀行からはM&Aを提案されました。私は「半年で結果を出すから、ちょっと待って欲しい」と啖呵をきりました。そんな崖っぷちの状況の中で苦渋の決断をし、リストラを断行しました。本当に辛くて、眠れない日々がそんな中、全力で支えると言ってくれていた社員たちが、手のひらを返したように態度を一変させました。「今までの俺
たちのやり方で大丈夫、あなたは社長の椅子に座っているだけでいい」と。
 確かにベテラン陣のやりたいようにやってもらえば、今はいいかもしれないが、彼らが退職した後はどうなるのかと考えると、ただ任せているだけではダメだと思い、3年間の改革を決断しました。
 改革は何のためにやるのか?危機的状況の中、改革という名の下に生まれ変わったのだという社員さんの意識付けが必要だったからです。それにはスピード感が命なのです。1年目意識改革、2年目チャレンジ、3年目維持継続発展と銘打ちました。これは、製造業の基本的な考えた方 5ゲン主義※に基づいたものです。
※現場・現物・現実の3点に注目した「現場に行って、現物をとおして、現実をみて考えなさい」という3現主義に原理・原則という意思決定の基準を加えた、ものづくりの現場で多く実践されている、考え方。

ボトムアップ型の組織へ

   意識改革と言っても、ただでさえ反発を受けている中、職人さんに座って話を聞いてもらうことからして、大変なことでした。「10分でいいから座って!」とお願いするような状況でした。5S一つをとっても、5個を一気に教えてもダメだと思い、一つずつ噛み砕いて説明しました。そしてみんなと作業をして、使っていないものを処分しました。その量なんと4トントラック1台分。人間はきちんと言葉の意味がわかると、自ずと行動が変わります。そういう教育を繰り返し行いました。
 組織づくりも変えていきました。先代と違って、私にはオーラがないことはわかっていました。そこで、強いリーダーシップで引っ張るのではなく、ボトムアップ型でいこうと決めました。アメーバ組織のような、「若手の会」「中堅の会」「職人の会」など会をいくつかつくり、その中にリーダーをおき、そこからの意見を吸い上げました。

顧客目線での改革

   改革一年目に基礎ができたので、二年目はいいと思われることをなんでも取り入れていきました。
 そんな中、SWOT分析※をして、私は弊社の強みは技術力だと導きました。専門分野の方に私の分析したレポートを見てもらうと、あきれた顔で「これ、あなたの目線でしょ?」と言われました。『お客第一主義』と謳いながら、顧客からの目線になっていなかったことに気づかされました。次の日顧客のところに行き「なんでうちに仕事を出してくれているのですか?」と質問してみました。すると「品質と価格は当たり前の時代。大事なのは対応力ですよ。あなたのところは特急対応してくれるでしょ」と思いもよらぬ言葉が返ってきました。客観的な評価による強みを知ったことで、さらにそこを強化していこうと決めました。
 誰もがスピーディにサポート管理できるように生産管理システムを全面IT化し、パソコンが苦手な職人さんにもパソコンを教えました。アンケートを何度も実施し、そこから出てくる要望を、カスタマイズしていくことで、みんなで作ったシステムだと思えるようになり、次第に職人さんも使いこなせるようになりました。
 3年目は維持継続発展させることが大変でしたが、そのころ「『俺たちは新生ダイヤだから!』とおたくの社員さんが言っているよ」と、お客さんから聞かされるようになりました。社員の気持ちはもう切り替わったのだと思って、3年間の改革を終了させることができました。
※SWOT分析:組織を「強み」「弱み」「機会」「脅威」の4つの軸から評価する手法のこと

自分だけの技術を持たせる

   弊社の社員教育についてお話します。弊社では、新人さんには初日から若手相談係をつけます。また、私との交換日記も行っています。文章はその人の能力が非常によくわかるものです。この人は細かい研磨のような作業が向いているなとか、私のアドバイスにすぐに反応する適応力があるな、とかいうことが見えてくるのです。
 また、長く勤めてもらうために、その人にしかできない、技術を持たせる様に育てています。現在、弊社でも二人しかできない非常に難しい技術があります。それに携わっているのは37歳と27歳の社員ですが、彼らは自分がいなくなったらこの会社は成り立たないと思っているでしょうし、そのやりがいも感じていてくれています。「その方が辞めたらどうするの?会社としてリスクを感じませんか?」と聞かれますが、それくらいのリスクを背負わないと、信頼関係は築けないと思っているのです。

若者が働きたくなる町工場へ

   求人の取り組みは、自動車業界の5〜6年ごとに来る景気の波も読みながら2007年よりスタートしました。
 最初は会社案内のパンフレットづくりから着手しました。デザインソフトを買ってきて『話せるパンフ』を目指し自ら作成しました。興味を引きそうな車のテールランプの写真を入れ込んで「これ何の車種かわかる?」 と、車の話から相手の言葉を引き出しました。一方的ではなく会話にすることで、彼らの性格が見えるメリットがありました。
 HPも、就職に大きな影響力を持つ親御さんの目を意識したものに変えました。親御さんはどういう人と働くのかということが一番気になるはずだと思い、会社の様子がわかるように、私や社員さんの笑顔の写真を多く掲載しました。
 また、ハローワークの検索エンジンに多くヒットするように、生産品目に自動車という文字を入れて、自動車部品に興味がある人に見てもらえるような工夫もしました。また、経験者は「ここでは前職の経験が活かせない」という理由で、早くに辞めてしまう人が多かったので未経験の方を積極的に採用しようと、応募条件の表記も『未経験者 経験者可』と、未経験者を前面に出すようにしました。
 こうした取り組みが功を奏し、求人のブースに弊社だけ30人位が列を成す、大田区でNO1人気企業になりました。

昔同様の社員旅行を実現

   社長になって、嬉しい思いもさせてもらいました。社員から「皆で旅行に行きませんか?」と提案があったのですが、皆が行きたい訳でもないだろうと、積極的になれずにそのままになっていました。すると3年後に「実は皆で積み立てをしていたのですが、お金がたまったから社員旅行に行きませんか?」と再度の提案があったのです。もちろん喜んで参加し、昔、父がいたころ行っていたような旅行をすることができまし
た。そのとき「社長、一言、私に言わせてくれ」とある社員が立ち上ったのです。何を言うのかと思ったら「俺たち、社員一同、死ぬまで社長についていくから」と。それは私にとっての最高の褒め言葉でした。嬉しくて、部屋に帰ってから一人号泣しました。
 社長になるか迷っていた時に背中を押してくれた忘れられない言葉があります。亡くなった父が私の夢枕に立ち「お前ね、ものづくりには終わりがないんだよ」と言った言葉です。その言葉を信じ、これからも大田区で頑張っていきたいと思います。

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